タイトル

Φ はじめに

シニフィアン研究所(埼玉県上尾市)の精神分析家 楽歩愛真(らくほまなみ)です。
当研究所では、精神分析(セラピー)という対話療法により心身の悩み相談を受けています。

このサイトでは、精神分析を通して、不登校→引きこもり→摂食障害(過食と拒食)と暴力→リストカット→自立へと、見事な成長を遂げたAさんとそのお母さんの格闘の日々の紹介です。

まず最初、Aさんのお母さんと出会いました。その時Aさんは小学校4年生で、すでに「不登校児」でした。
もちろんAさんのお母さんは心配して、本を読んだりHPを検索したり、学校の先生に相談したり、相談所へ行ったり講演を聞いたりしたそうです。ところが、なかなか納得できず悩んでいたところ、知り合いのクライアントの紹介で私の所へ来られました。これがAさんのお母さんと出会った最初です。

娘さんが自立した後、同じ悩みや苦しみを抱えている方々の参考になるのなら、とお二人から了承いただき、一定の変更をした上で症例として紹介することとなりました。

では、お二人の軌跡を辿ってみましょう。

☆Twitter アカウントは「シニフィアン研究所 楽歩愛真」です。

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1)Φ 不登校、そして引きこもり


Aさんの家族は、会社員の父と専業主婦の母と3歳年上の姉の4人家族で、特に大きな問題もなく、こく普通の家族です。Aさんは、赤ちゃんの頃からごく普通の子どもで、特に何の問題もなくスクスクと成長し、小学生になりました。お母さん曰く「赤ちゃんの時からよく寝て(サイレントベビー)人見知りもしない、手のかからない良い子でした。」このことが、後に大きな問題である事が分かってきました。

不登校になったのは、小学校2年生の夏休み明けからだったそうです。
・朝起こしても、なかなか起きない
・朝ごはんを食べたら、お腹が痛いと言ってトイレから出てこない
・頭が痛いと言う
こんなことが続いて、お母さんが学校へ送って行ったりなどの途中経過を経てとうとう2年生の3学期から、まったく学校へ行かなくなりました。昼夜逆転し、お風呂にも入らず、ゴロゴロばかりするようになりました。出かけるのは、暗くなった夜、近くのコンビへ行き、お菓子やアイスを買い込んできます。時には、好きなものを山のように買い込んだこともあったようです。(引きこもり、不登校の人はほぼ昼夜逆転します)

☆ 不登校・引きこもりのキッカケは何だったのでしょう?

きっかけは、同級生の男の子から冗談で「ブタ」と言われたからだそうです。小学生のAさんは、少しぽっちゃりしていたそうですが、そんなに太っていた訳ではなかったのです。確かに、言われたAさんは乙女心を傷つけられたことでしょう。でも「それは、きっかけに過ぎなかった。学校を休む理由が欲しかったのです。」とAさんは当時を振り返って言いました。
Aさんは、学校を休みたかったのですが、言えなかったのです。だから、「いじめ」という口実を作り出したのです。それまで「良い子」を演じて頑張ってきましたが、もう息切れ情態だったのです。不登校や引きこもりの子どもさんに聞いてみると、皆さん、同じような理由がきっかけだったと言います。「いじめ」「給食」「行事」「休み明け」「進級」など

☆ なぜ、そんなに頑張ってきたのでしょう?

それは「お母さんの喜ぶ顔が見たかったから」とAさんはつぶやきました。お母さんの期待に応えたいと思い、そして、お母さんに誉めてもらいたかったのです。子どもにとってお母さんは特別な存在なのです。

☆ 不登校・引きこもりで何を言いたかったのでしょう?

「私にきちんと向き合って、言うことを聞いて欲しかった」「もう一度、お母さんのお腹の中からやりなおしたかった」「もっと、お母さんに甘えたかった」「お母さんを独り占めしたかった」と、「どんな私でも受け入れてくれるか試したかった」「もうお母さんの良い子をすることに疲れた」「お母さんの操り人形になるのが嫌になった」とも、言いました。

◆お母さんのAさんへの対応の仕方(オールOK子育て法詳しくはこちら

① 子どものすべてを承認すること(=お母さんの要求は出さない=バカになる)
 『子どもが何を言っても、すぐに「はい」と返事して行動すること』
この「敏速」「適確」な「行動」を≪母性行動≫と言います。

例えば、子どもが「お母さん、ジュースちょうだい」と言ったなら、お母さんは「はい」と言って、すぐにジュースを出すことです。決して「今忙しいから後でね」「ジュースばかり飲んでないで、牛乳にしなさい」「自分で取りなさい」とは言わないということです。  

② 裁判官や警察官にならないこと(問い詰めない、責めない、良い悪いの判断はしない)
「何で学校へ行かないの、学校へ行くのがあなたの仕事よ」「みんな行っているのに、何で行かないの!なまけちゃダメ」「マンガやゲームしてる暇があるなら、勉強しなさい」などと言わないことです。

まずは、以上の二つをAさんのお母さんに守ってもらいました。そうするとAさんは次から次へと要求するようになり、「くそババア!」と呼び捨てにしながらお母さんを振り回すようになりました。お母さんは「こんな毎日がいつまで続くのだろう?!」と、不安になったと言いました。そして、インテグレーターに「こんな状態で本当に大丈夫でしょうか?」と毎回、心配そうに尋ねました。それでも、「それで良いのですよ」「くそババアよ言われたら一人前ですよ」とのインテグレーターの言葉を信じて半年間やり続けました。そうしたら、どうでしょう。Aさんは、徐々に必要な時に、必要な事だけを要求するようになりました。そして、お母さんに対する呼び方も「くそババア」から「ママン」へ、そして「お母さん」へと変化していきました。

お母さんは当時を振り返り『私も、実は自分の母親に「くそババア」と言いたかったんです。でも、とてもそんな言葉は言えませんでした。想像するのも恐ろしいくらいです。』とポツリと言いました。
叫びたくても叫べなかったお母さん自身の心の叫びを、Aさんも叫んでいたことになります。「くそババア」と言える娘が羨ましいです」とセラピーでお母さんはポツリとつぶやきました。 

☆サブサイト「不登校の子どもの母より」も参照ください。


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2)Φ 過食と拒食と暴力

Aさんは、引きこもるようになってから日を追うごとに、昼夜逆転し、ゴロゴロ寝転がりながらお菓子を抱え込んで食べはじめました。三食はもちろんのこと、ジュースとお菓子が手放せなくなりました。お菓子に囲まれていると「幸せな気分」になったそうです。当然ながら、体重はうなぎのぼりに増えてゆきましたが、Aさんは、一向に気にする気配はなかったようです。食べても食べても満足は無かったと言います。まさしく「底なしの樽」です。
通常では考えられないことですが、Aさんはまさしく「母の代理物」を食べていたのです。しかし、お菓子やジュースは「母」ではありません。ですから、永遠に満足することはないのです。小学校の高学年から始まった過食は、中学生でピークを迎えます。最高体重は82キロだそうです。ちなみにこの頃の身長は158センチだったとか。後に、Aさんは当時の自分を振り返り「肥えて大きくなれば、お母さんの視界に入るかもしれないと思った」と語りました。
この言葉から、Aさんの過食の意味が明らかになります。それほどAさんはお母さんに眼差しを向けてもらいたいと思っていたのです。

ところが、ある時を境に、一気に拒食に転じます。中学生になっていたAさんは、「可愛いブラジャーなどの下着が付けられない」ことに気がついたのです。Aさんが身に付けられるのは「おばさんの下着」しかなかった。『私も、モデルさんのような可愛い下着を付けたい』そう思った時から、生の野菜と水しか受け付けなくなりました。
最初はなかなか効果がなかったようですが、一ヶ月近く経った頃、日毎に体重が減り『毎日体重計に乗るのが楽しみだった』そうです。そして拒食のピークは37キロ。もちろん生理は止まり、歩くとふらつき少しの風にも飛ばされそうになったといいます。

また、お母さんが心配して「食べ過ぎるんじゃない?」と言うと「黙れ!うるさいんじゃ!勝手だろが!」と凄みのある声で叫んだのです。お母さんが初めて聞くAさんの暴言でした。それからは、お母さんがちょっとでも意見を言うと「うるさい!くそババア」と言うようになり、直接お母さんに暴力は振るわないものの、タンスや壁やふすまを叩いて穴をあけたり、へこませたりするようになりました。

◆ お母さんの対応

お母さんには「これはまだ始まりです。これから色々表現しますから覚悟しておいてくださいね。」「でも、何をしても大丈夫ですから、娘さんを信じて見守ってあげてくださいね」とセラピーの度に話していました。当然ながら、目の前のAさんの言動にお母さんは翻弄されます。過食の時も、拒食の時も、心配したのは当然です。過食の時は「そんなに食べてばかりいたら、お腹こわすから止めておきなさい」と言い拒食の時は「野菜だけだと栄養失調になるから、もっと他のものも食べなさい」と言う。心配のあまりとは言え、矛盾した対応ばかりでした。そんなお母さんの態度にAさんは怒りを暴力と言う形で、表現するようになります。

インテグレーターは「一貫して何も言わないこと、オールOKすること」をお母さんにアドバイスしました。なぜなら、Aさんがお母さんに求めている事が分かっていたからです。「こんな私でも、お母さんは見捨てないだろうか?」つまり、お母さんを試していたのです。Aさんのお母さんは失敗をしながらも努力し続けました。

そんなある時、Aさんはお母さんに、ニッコリ笑ってくれたそうです。でもお母さんはそのAさんの笑顔を見て「背筋が凍った」そうです。なぜなら、あの有名な「ムンクの叫び」の顔そっくりだったからです。

後に、お母さんは語りました。「トリガラのように骨と皮だけの娘の姿を見て、これがあのぽちゃりとした
可愛い娘の姿だろうか!他所の娘さんたちは溌剌として、綺麗で輝いているのにわが子はこんなに痩せて、、、私のドコが悪かったのだろうか?育て方を間違ったのだろうか?と、どれほど自分を責め、こんない辛い想いをするのならいっそ、娘と共に死んでしまおうか、と何度思ったかしれません。でも、先生の言う事を信じて、もうちょっと頑張ってみよう!と必死の想いで頑張りました。」

これで終わりではありませんでした。一貫しないお母さんの対応に、Aさんはやがてリストカットをするようになります。

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3)Φ リストカット(自傷行為)―死との戯れ

中学生になった頃から、新たに加わったこと、それは「リストカット(自傷行為)」でした。外への暴力が、自分へと向け換えたと言えるでしょう。

きっかけは「もう覚えていない」とのことでした。気がついたらカッターで切っていたとのことです。「痛くなかったの?」と聞くと「さあ、特に感じなかったわ」とのこと。赤く滲んでくる血を見ていたら「現実の世界へ戻ってきた気がした」「何の感情もなく、眺めてた」「蚊に刺されてカユイ時に、切るとかゆみがマシになるのよね」こんなことをAさんは語りました。。

中学を卒業したAさんは定時制の高校に入学します。お母さんは驚いたそうです。高校には行かないだろうと覚悟をきめていたからです。Aさんに聞くと「やっぱり高校には行きたかったから」と言いました。進学した高校も休みがちとなりましたが次第に、Aさんにある変化が見え始めました。お母さんと買い物に出かけ時、スーパーのパート募集の張り紙を見て「私もバイトしようかな・・・・・」と言ったのです。
そして、ある日突然『お母さん 私面接受けてきたから、電話かかってくるかもしれないからね』と報告したそうです。
そして、最初は週に2日3時間のパートの仕事を始めました。お母さんが喜んだのは当然です。しかし,続くかどうか心配だったのも事実だったと、後に言われました。ホッとしたのもつかの間、先輩従業員の人に注意されたことからバイトに行くたびにリストカットをするようになり、腕に包帯を巻いて長袖を着て行くようになりました。洗面所のシンクタンクが度々、Aさんの真っ赤な血で染まっていたそうです。
ストレスを「暴力」から「リストカット」と言う方法で解消していたのです。それと同時に、切ることで感じる痛みと血の色を見ることで「自分が現実に降りてきて、生きている自分を感じていた」それほどAさんは自分が生きている実感を持てなかったのです。サイレントベイビー(よく寝て泣かない手のかからない赤ちゃん)だったから痛みという刺激を与えることで、自分の身体があることを刻印していたのです。今時ならきっと「入れ墨」をしていたことでしょう。別名「マーキング」と言います。母に見捨てられた人達が、永遠に消えない刻印を自らの身体にマーキングするのが「入れ墨」だと言えるでしょう。

手首に留まらず、だんだんその範囲は拡大してゆきます。胸にまで及んだこともありました。今でも手首にはその痕跡が「白く」残っていると見せてくれました。「切れないカッターで切ると痛いんだよねえ、よく切れるカッターでないとね!」と、笑いながら語ってくれました。そんなAさんの前に一人の男性が現れました。それを機にリストカットは消えてゆきました。


◆ お母さんの対応

この頃になると、まだまだ心配や不安はあるもののお母さんもAさんの心を理解し、見守ることができるようになってきました。インテグレーターは「リストカット」は、『死との戯れ』とも言われ自殺に発展する可能性は低いから大丈夫ですよ≫とアドバイスをしていました。その言葉をお母さんは信じることができあわてず、Aさんがバイトをするようになったことを共に喜び見守ることができるようになりました。それからはお母さん自身が、Aさんの言動に一喜一憂しなくなりました。
この頃のことをお母さんに聞くと「自分の子どもを信じよう!と心の底から思えるようになった」「ここまで失敗しながらもやってこれたのだから、それが自信となりました」と笑顔で話してくれました。


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4)Φ 異性との出会いー新たな自分の発見

バイトも順調に続き、周りからの温かい理解に支えられ居なくてはならない存在へとなってゆきました。それが一つの自信となり、やがて6年かけて高校も卒業するに至ります。そんな時、バイト関係で知り合った男性とお付き合いするようになります。初めて「彼氏」ができたのです。
「やったあ!私にも彼氏ができた!」と、ただその事実が最高に嬉しかったとAさんは語りました。それをきっかけにますます自分が女性であること、認められることの喜びを味わうようになったと言います。
いつの間にかリストカットもしなくなり、おしゃれを楽しむ素敵な女性へと変わってゆきました。

成人して高校も無事卒業し、バイトも順調で、彼氏もでき、また、別れも体験しましたがお母さんと一緒に夕食を作り、買い物にも行くようになりました。体重も56キロまで回復しましたが偏食は続き、「食」にはまだこだわりが残っていました。
セラピーを通して「まだまだ、母にこだわりを持っていること」「母を求めているけど、反面反発や怒りがあること」「母への怒りを表現することが怖いこと」などをインテグレーターに語ることができるようになりました。
何度かのセラピーの後、ある日、ついに母への不満を言葉で言うことができるようになります。
「自分がどんなに寂しい想いをしてきたか」「どんなに悲しい想いをしてきたか」「過食拒食リストカットをしてきたのは、少しでもお母さんに注目してもらいたかったから」etc胸の内をぶつけることができたそうです。
「長い年、胸の中にわだかまっていたものが消えた気がした」とAさんは輝いた瞳でインテグレーターに語りました。
そして、その後しばらくして「私は家を出て一人暮らしがしたい」と、言い始めました。インテグレーターはその彼女の言葉を聞いて、やっと前を向いて歩き始めたことを確信しました。


◆お母さんの対応

Aさんへの対応も順調にできるようになり、それと平行して、お母さん自身の秘めた母への想いも語るようになりました。Aさんが心の内を語れるようになり、それを受け止める中で、「娘が様々な問題を次から次へと起こしてくれたお陰で、自分の中の母にも向き合えるようになりました。それはとても辛い作業ですが、喜びでもあります。」と語り、精神分析を通して自分を知る喜びも同時に味わったと言いました。

お母さんはAさんへの対応だけではなく自分自身を知るセラピーも同時に受けていました。そのことで、様々なAさんの問題にも向き合う覚悟が持てたと語ってくれました。Aさんと二人で作る夕食の時間は、とっても楽しみになったそうです。買い物に出かける時間は、まるで姉妹で歩いているかのような気分でお母さんの服装もとってもおしゃれなものに変化してゆきました。母娘で楽しむことの喜びを実感できたこと。娘を持って良かったと感じたこと。大人の女同士としての喜びも味わえたことを、一気に報告してくれました。

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5)Φ 自立(自律)=母からの旅立ち

自立に向かってAさんは準備をするようになります。その第一歩は「バイト先の店長に辞めると言う」
これは、案外エネルギーが要ることが分かってきました。なぜなら、なかなか言い出せなかったからです。Aさんにとって、バイト先は「家族」のようなものだったのでその場所を辞めること=分離不安を湧き上がらせることになったようです。
誰にとっても「馴染みがあること」から離れることは少なからずの「不安」を掻き立てます。Aさんもそうでした。
しかしインテグレーターがそのことを語ると、Aさんは迅速に決断しました。「私、明日店長に言います!」と。それからのAさんの行動には、目を見張るものがありました。店長に「辞めます」とはっきり伝え、一ヵ月後に皆に祝福されながら、笑顔でバイト先を離れたそうです。
その一ヵ月後、自分で転出先を決め、アパートを捜し、長らく住んだ親元を初めて離れて行きました。

インテグレーターにも笑顔で報告してくれました。「長い時間でしたが、私には必要な時間でした。今までは暗いトンネルの中を彷徨ってどこを目指して進んでよいか、全くわかりませんでした。でも、先生と出会って、やっと未来が明るく見えてきました。もう、母では物足りません。これからは、一人暮らしを謳歌します。ありがとうございました。」

彼女と出会って、10年が経っていました。長かったようにも感じられますが、今では、とっても素直な素敵な女性へと成長しています。他府県へと旅立って行った彼女ですが、今では仕事先も決め、止まった時を取り戻すかのように毎日が楽しく、まさしく「ばら色に輝いている」そうです。


◆ お母さんの反応

誰よりもお母さんが一番喜んだことは、言うまでもありません。Aさんが「不登校」になってから、どれだけの年月が経ったことでしょう。その間、どれだけ自分を責めたことでしょう。どれだけ、誰にも言えず、苦しみ悩んだことでしょう。そんな最中、インテグレーターと出会い、インテグレーターを信じ、ひたすらAさんに向き合い続けたことが今の安心と喜びに繋がったと語られました。

お母さんは一所懸命、Aさんのためを思ってしてきたのに、Aさんにとっては、それが迷惑であり、時には過干渉と感じ、束縛されていると感じていたことに気付きました。その母の想いが、Aさんの心を閉じ込めてしまっていたのです。

Aさんが「不登校」から「摂食障害」「リストカット」などをしたことで、お母さんが自分自身を振り返り、逆に、お母さん自身が長い間、自分の母への想いを心の内に秘めていたことをAさんが教えてくれたんだと気付きました。『子どもの問題は、私の問題でもあったんですね。』『娘は、自分の身体(命)を使って、私に教えてくれたんですね!』『精神分析と出会っていなければ、どうなっていたか分かりません。
 ひょっとしたら、今頃、娘も私もこの世に居なかったかもしれません』と、Aさんのお母さんは語りました。

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6)Φ 振り返って

「Aさんとお母さん」との出会いを振り返って痛感することがあります。
それは、≪すべての人の心の基盤は、母が作る≫ということです。
幼少期の子どもから、成人した大人の言動や心身の症状、悩み、苦しみを通して最終的に「母への叫び」が聴こえてきます。それが基盤となって積み重なり、後に、何らかのキッカケで形を変えて表面化してきます。

Aさんも、またお母さんも共に我が母に叫んでいたことに向き合う覚悟をし、Aさんはお母さんに、お母さんは、そのまたお母さんに叫んでいたことに気付きました。だれが原因でも、悪いのでもなく、どの代のお母さんも子どもも、誰一人気付かなかった。そのことが一番の原因ではないでしょうか。叫んでいる本人も『自分が何を叫んでいるのか』を知らない。
だから母も周りも気付かないのです。行動や心身の症状だけが『早く気付いて!!』と叫んでいる。

Aさんは「不登校」「引きこもり」「暴力」「過食」「拒食」「リストカット」などを通して叫んでいました。
「お母さん、私だけを見て!」
「お母さん、わたしの言うことをもっと聞いて!」
「お母さん、もっと私を抱き締めて!」
「お母さん、本当は寂しいのよ!」
「お母さん!お母さん!お母さん!私の叫びが聴こえないの?」

その声を聴く「勇気」と「根気」を持ち続けたAさんのお母さんは『娘のお陰で、私も共に成長することができました。 
何があっても、諦めずに娘と向き合ってきて良かったとつくづく感じます。』と語りました。

Aさんだけが特別ではないと思います。世の中の『良い>』が同じように叫んでいる。子どもは、お母さんが世界中で、誰よりも大好きなのです。人は皆、同じように叫んでいた(今も叫んでいる)はずです。目を閉じて、そっと心の声を聴いてみませんか?どんな声が聴こえてくるでしょうか?その叫びを聴くのが「精神分析家」です。

不登校や引きこもり、摂食障害、リストカット、非行など子どもさんに関する様々な問題を抱えて困っている方がおられましたら、是非一度ご相談ください。AさんやAさんのお母さんのように必ず笑い合える道が見出せるはずです。
思春期の子どもさんに関するご相談の連絡先はこちらです。
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ブログでは「宛名のない手紙」のカテゴリーを追加しました。http://blog.goo.ne.jp/kuutyann77
こちらでは出す宛てのない心の叫びを随時書いています。

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 自らも精神分析を受け、精神分析家を目指し理論を学んだ人たちが、東北・関東・関西を中心に活動しています。  紹介します。(敬称略)  メールに関して、☆を@に変換したメールアドレスにメール送信願います(スパムメール対策)

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